叔父が居たから、進んできてる
母が亡くなりました。あの気丈な性格の母が
今日、亡くなってから一週間ぶりに
仕事へでかけました。
家に居ても、何もすることは、とりあえず、
無かったので仕事へ行きました。
家に居ても誰も答えず、それよりは
自分の知り合いが近くに居てくれる方が
どれだけ嬉しいかが、分かりました。
家に居ても父しか居ません。
それならば話が分かる他人様の友人の近くに
居る方が安心できる。
一人っ子だもんで、話を聞いて話してくれる
人が今までなら母が近くにいました。
人が居ることがどれだけ心強くなるか
現場に出てわかりました
直接、間接的ではありますが、
叔父が進む道を教えてくれたので
迷わずに事務処理が終わらせられました。
父には叔父の私に対しての助言は
気に入らないらしく、また、邪魔しよって❗と
言っていますが、私には叔父が居なければ
長崎の叔父叔母の連絡、葬儀やの選択、
とりあえずの進む道を教えてくれたのは
叔父でした。
もし、叔父が、進み方の選択肢を教えてくれてなかったら、何から手を付けたらいいか、
母の持っていた帳面に対して戻ってくるものが
有ると話をしてくれたのは叔父でした。
短時間で市役所、銀行、郵便局、保健所の
公的資金を表に出してくれました。
父の銀行口座を使い、母が作った私名義の口座
も使い、まさか返還される資金が有るとは
思いもよりませんでした。
母からの私へのヒントも何気に聞かされていた
こともあり、すんなりと「これのことだったのか」と、思い立ったことも有りました。
母が亡くなってから、自分の時間は有るのかな?と思わず言わずにはいられないので、
この質問を投げ掛けたことがあります。
叔父の時間は取れてますか?と。
答えは自分の時間よりも、大阪の兄貴が
つぶれるのは見てられないから、助言するんだと。
今日ようやく食べることが出きるようになり
仕事にも復活したので、体が少し疲れている
こともあり、昼休憩に眠たいと感じられました
少しずつ良い方へ進めているので
父よ、叔父を嫌われないでいて欲しい。
居なかったら何から始めたら、何を聞いたらいいか、解らなかったのだから。
何も助言が無ければ、大阪の父の家は潰れていたことと思います。
怖い生き方に進んでいき、父でさえ
生きていたか、解らなかったでしょう。
叔父は私の道しるべや助言者だと
思っています。