ようやく、自分のことは自分で
母が生きていたら、父の生活面の全般は
母がしていました。
だもんで、家事、特に食事は
食事は自分ではご飯しか炊けません。
おかずは出来合いものに頼るしかなくなりました。
理由は「私が作った食事は不味くて食べれない、捨てたいぐらい」だからです。
だもんで、食事は自分で買ってくるしか
道は無くなりました。
私もまだ、仕事に行く人なので、
日中、かかりっぱなしになれません。
ですので、忘却症の父ですが、メモを片手に
自分のやり方を見つけて行くしかありません
父の異変は大阪から三時間先の敦賀の叔父に
連絡しなさいと、私は言っています。
目が回る?なら、父が通院している病院に誰でも良いので電話をしなさいと、言いました。眼科、糖尿にて通院中、もしかしたら葬儀やさんも連絡できるかも。とりあえず、父が関係しているどんな方でも良いから電話をして
連携を取るしか最短距離は無いでしょう。
母がお世話になっていた岸和田徳洲会病院も
使いましょう。
連絡できる、異変が自分に起こったら
とりあえず目についた病院へSOSを出すこと
これが一番、父の命を守る方法でしかないんです。
叔父に頼りすぎても、叔父も自分の時間があるでしょうから。幾ら兄弟と言えど
朝早く起こしたら叔父までもつぶれてしまう😱
それを防ぐために、連絡先はどこでもいい、
連絡が出来るんなら早いうちに人づてに
健康を見てもらってください。
今、派遣会社の事務員二人と
派遣先の電話番号を父に渡しておきました。
何かあってからでは困りますが、
とりあえずの私とつながる電話先なので、渡しておきました。
免許証の中に入れとくと言ってました。
入れたこと事態忘れてしまうかも知れませんが
他人様と父以外が私がつながる方法です。
一人にはしたくないですが、私も仕事に行かないと生活費がカツカツになってしまいます😅
ホンとは案件書の代金を払った時点で
市民税が払えない状態になりました。
まぁ、背に腹は変えれないので
支払いが出来るのであればと思い、払いました
後は幾らか市役所からの還付金が帰ってくれば
いいんですが、、すぐには無理です。
一応、被爆者手帳の葬祭費は父へ
母からの死亡保険は私に入ることにしてあります。一つずつ終わらして分かるようにしないと、あとあと、もらえなくなったらこまりますから。
さて、後少ししかこれを書く時間がありません。
とりあえず、体調が悪いと思ったら
目についた病院へ連絡しなさいといいました。
そしたら、病院の連携で家まで来てもらえるはずです。
そう父に話しておかないと、一人になるので不安ですが、仕事に向かいます☺️